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ローマ各地の情報
コロッセオ
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地下鉄B線コロッセオ駅を上がると、そこはローマ帝国時代の遺跡だらけ。ぐるっと見回せばコロッセオは誰もが知っている形で広い車道沿いにドカッとあるので、迷うことはえぞりす以外絶対ない。なぜか見あたらなければ誰かに聞けばいい。まあ、駅からこのあたりをぶらついてるのはほとんどが観光客で、あとは剣闘士の格好をした怪しいおっさん達ぐらいなものだけど。このおっさん達、一緒に記念撮影したり、カメラ向けると法外な金銭を要求することが多いので注意が必要だ。
チルコ・マッシモ
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フォロ・ロマーノのはずれで少しくぼんだ広大な空き地を見つけたら、それが古代ローマのレース場「チルコ・マッシモ」跡だ。皇帝の居住区「パラティーノの丘」から見下ろせ、庶民の居住区「アヴェンティーノの丘」からもすぐの位置が示すように、このレースはローマの人々の中心娯楽だった。
テルミニ駅
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ローマの中央駅は「テルミニ駅」って呼ばれてる。名前の由来はディオクレティアヌス浴場(テルメ)の跡地近くに出来たから。イタリア人が恐竜とあだ名してる現在の巨大でユニークなデザインの駅舎は、1860年代に法王ピウス9世が造った中央駅を土台に、ムッソリーニ政権が国家昂揚政策と戦時鉄道整備の旗の下に拡張改築を始め、13年後のファシズム亡き1950年に完成したもの。イタリア新幹線を含めた国内国際列車のほとんどの始発駅になってるんだ。
ポポロ広場
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西暦1300年以降、ヨーロッパ各地からローマを訪れるようになったカトリック巡礼者たちは、フラミニア街道を南下し、最終的にこの北の玄関口「フラミニア門」で通行税を払ってローマ市内に入った。そして門をくぐった瞬間、目の前に広がるのが「ポポロ広場」だった。
トレヴィの泉
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ここはローマで最も有名な場所。泉を目指して歩いて行くと、細い路地が突然開けて、彫刻と一体になった巨大なポーリ宮殿の白壁がでんと現れる。中央のアーチに囲まれた大きな像は海神ネプチューンで、左右に豊壌と健康の女神を従える。その足下は、泉の水回りを含めて波で、中にトリトンが馬を操ろうとする像が2パターンある。この馬は海の表情を表し、左は荒れ狂う海、右は静かな海ということらしい。壁面上部には、泉の水源を探す将軍アグリッパの前に女神が現れて行くべき場所を示したという、ローマ時代からの言い伝えが描かれている。
サン・ピエトロ大聖堂
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ここはキリスト教カトリックの総本山。ローマ法皇が住んでいる広大な敷地はヴァチカン市国という独立国家だ。周辺道路の境にはフェンスが置かれたりラインが入ったりで実際「国境」(写真下)が存在するのだから、2000年近く世界を動かしてきた宗教の力をヒシヒシと感じるところ。
ヴェネツィア広場
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ローマの中心はどこ?って聞かれた時に、ここって答えればとりあえずアタリかなって場所がヴェネツィア広場。目印はローマのあちこちから白々と見える、この超巨大なウエディングケーキみたいなヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂だ。
フォロ・ロマーノ
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今更言うまでもなく、フォロ・ロマーノはかつてローマの中心だった場所。ローマ建国以前からの中心部だったカピトリーノの丘が手狭になり、拡張のために下の谷の沼地が排水工事の後、整地された。紀元前500年頃にはすでに施設が建ち並んでたらしい。「フォロ」とはフォーラム(広場)のことで、市民中心の共和制時代、各々の取引や話し合いの場として置かれて、たいへん賑わった。
帝国に変わってからは、そこに皇帝の権力を誇示するためにマクセンティウスのバジリカのような巨大建造物が林立し、だんだんと手狭になったこともあるが、維持管理だけでも莫大な資金がかかるこれらの建築物は、帝国の崩壊と共に次々破壊され、資材として使えそうならどんどんはぎ取られ、持ち去られた。19世紀初頭に発掘調査が始まる頃、遺跡の間が羊を放牧できるような野原に変わっていたというから驚きだ。
フォーリ・インペリアリ通り
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ヴェネツィア広場からヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に向かって左の脇を抜けてコロッセオ方面に伸びる一直線の広い道は、フォーリ・インペリアリ(諸皇帝のフォロ)通りと呼ばれている。これはムッソリーニが計画した政策道路の1つで、多くのローマ遺跡を埋めて造られたといわれるだけあって、両脇にはフォロ・ロマーノを含めた多くの貴重な遺跡が続いている。
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