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コロッセオ放浪記

コロッセオの外観 地下鉄B線コロッセオ駅を上がると、そこはローマ帝国時代の遺跡だらけ。ぐるっと見回せばコロッセオは誰もが知っている形で広い車道沿いにドカッとあるので、迷うことはえぞりす以外には絶対ない。なぜか見あたらなければ誰かに聞けばいい。まあ、駅からこのあたりをぶらついてるのはほとんどが観光客で、あとは剣闘士の格好をした怪しいおっさんたちぐらいなものだけど。このおっさんたち、妙にフレンドリーだからといって、うかつにも一緒に記念撮影したりカメラ向けてしまうと、法外な金銭を要求することが多いようなので注意が必要だ。

コンスタンティヌスの凱旋門 コロッセオのすぐ横にある白っぽい凱旋門は「コンスタンティヌスの凱旋門(写真上)」といってローマでは一番大きいもの。315年、キリスト教を公認しマクセンティウス帝と争っていたコンスタンティヌス帝が勝利をおさめた記念に、市民と元老院が建てて、サン・グレゴリオ通りの基点となった。保存状態よく残る数多くのレリーフは、ほとんどが当時あったあちこちの記念建造物からはぎ取ってきては張り付けたモノらしい。ひどい話だけど、この当時は各地で他民族流入を防ぐための城塞建築が盛んだったため、慢性的に資材が不足。新たに建築物を造る場合は、利用されなくなった建築物は資材置き場と考えて再利用するのが当たり前だったとか。コロッセオの点描1コロッセオの点描2 紀元72年、ウェシパスアヌス帝が戦勝記念の目的で建設を開始したコロッセオは、ネロ帝が己が都に火を放ったあと建てたといわれる黄金宮殿の跡地に、エルサレム遠征の捕虜4万以上を動員して8年がかりで完成した円形の競技場。巨大という意味の「コロッサーレ」からこの名が付いたとか、この場所にかつてあったネロ帝の巨像「コロスス・ネロニス」から名を受け継いだとかの諸説があるけど、基本的には「でかい」ってことを言いたかったようで、前に行ってみると名前をつけた人の気持ちはよく分かる。ひたすら圧倒させられる規模の周囲527メートル、高さ50メートル。記録では5万人は軽く収容できる4層の観客席を持ち、その上には可動式の布屋根。内部には幾重もの通路が巡らされ、アリーナ地下には多数の檻や控え室、舞台装置として人力エレベータまであったそうだ。敗者の死をもって終りとする残忍な見せ物の内容は他の読み物に譲るとして、こけら落としでは、なんと20,000名以上が命を落としたと記録されているらしい。300年以上続いたこの娯楽、キリスト教的世界観が広がるにつれて民衆が振り向かなくなり、438年の人間同士の殺し合い禁止令によりどんどん下火となった。コロッセオとメインストリート その後も獣狩りなどの見せ物が続いていたものの、523年でついに幕を閉じて無用の長物となったコロッセオは、格好の資材採掘場と化した。外壁を覆っていた大理石の化粧板は宮殿や教会の建築のため次々持ち去られる。一説には見せ物としてキリスト教徒が殺害されたという歴史を葬るため、バチカンが率先して資材を使用させたという話もあるぐらい(キリスト教徒のコロッセオでの虐殺説は年代的に見て賛否両論ある)。けど18世紀には法王が件の殉教者をたたえ、キリスト教の聖域としたために逆に資材持ち出しにストップがかかり、今の姿で残ったというのも事実なんだ。

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