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ポポロ広場放浪記

フラミニア門 西暦1300年以降、ヨーロッパ各地からローマを訪れるようになったカトリック巡礼者たちは、フラミニア街道を南下し、最終的にこの北の玄関口「フラミニア門」で通行税を払ってローマ市内に入った。そして門をくぐった瞬間、目の前に広がるのが「ポポロ広場」だった。

 以前から門の横にあった教会の名が「サンタ・マリア・デル・ポポロ」だったから、広場はこう呼ばれるようになったらしい。このサンタ・マリア・デル・ポポロ教会(写真下)は、キリスト教徒を迫害した暴君ネロの悪霊が憑いたと噂される胡桃の木を切り倒したあと、土地を清めるために1100年頃、聖母マリアに捧げて建てられたもの。「ポポロ」とは元来「小市民」の意味だけど、ここに小集落があったのを記念しての名か、教会が市民の力で建てられたための名かは不明。歴史上の記録がはっきり残るのは15世紀中盤以降で、国の玄関にふさわしいようにと教皇シクストゥス4世の命で小さかった教会はほぼ現在の姿になり、その後もベルニーニやカラヴァッジョ、ラファエッロ等、改修に多くの一流芸術家や建築家がつぎ込まれたため、現状のアートバンク状態となったようだ。サンタ・マリア・デル・ポポロ教会ポポロ広場の全景 一方、広場もどんどん増え続ける巡礼者に対応するため、16世紀には道標としてチルコ・マッシモにあった36mのオベリスクを移設し、人並みがスムーズに流れるように広場に通じる通り(コルソ通り)を挟んだ2本の新たな通りを整備した。フラミニア門もベルニーニに飾られて、いつしかポポロ門と呼ばれるようになり、国の玄関としての体裁も整った。さらに17世紀末にはライナルディによる双子の教会(サンタ・マリア・イン・モンテサント教会&サンタ・マリア・ディ・ミラコリ教会 写真下)が完成。19世紀初頭には都市計画に基づき、ヴァラディエがデザイン、彫刻や噴水等を配置してようやく現在の姿になった。双子の教会ポポロ広場の噴水と彫像

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